ベトナム人女性と国際結婚、知っておきたい日本の結婚式の歴史

ベトナム人女性と国際結婚をする場合、母国のベトナムで式を挙げるか、日本で挙げるかの二通り、もしくはその両方が考えられます。ベトナム女性と国際結婚する場合、ベトナムとの違いを明確にする意味でも、日本の結婚式の歴史、その意味を知っておいたほうがよいでしょう。

平安時代

通い婚の時代で、天皇は、露顕(ところあらわし)宴をしていました。これが現在の披露宴となります。平安の結婚は男性が女性に三夜、続けて通いました。女性の家では訪れる男性と従者を接待しました。3日目には露顕という披露宴が行われ、新郎新婦が披露されました。列席者は妻側の関係者のみに限られていました。

室町時代

通い婚が「露見」した後、に嫁と舅の家へ鯛などの魚と酒を持参して、祝いをしました。

安土桃山時代

地元で力のある武家の婚礼儀式は盛大に行われました。身分によらず婚姻の儀式、結婚式は行われていました。

江戸時代と明治

新郎の家に身内が集まって、高砂の尉と姥の掛け軸を床の間に掛けて、鶴亀の置物を飾ったものを置いて、その前で、盃事して、結婚式をしました、祝言が行われました。式場は自宅が中心で、婿が嫁方の実家で、しばらく生活する婿入り婚という形式で行われました。

夜、新婚の初日に嫁方の家でお祝いが行われることがありました。江戸時代では、同じ村の者同士が結婚する場合には、祝言が行われないか、もしくは簡素であったが、村の外の者と結婚することが増えて複雑化し、神前式になってきたとされています。

現代

庶民の結婚式は自宅で行うことが多かったとされています。神社で行う神前結婚式は、明治以前にも行われていましたが、ごく少数であったとされています。明治維新以降は、日本で夫婦の結婚、一夫一妻制の結婚を制度化することは、国家の近代化に必要とされました。1900年、明治33年の5月10日に皇太子、大正天皇と貞明皇后が結婚、正装した男女が、宮中三殿に拝礼して、神の前で夫婦の誓いを立てる結婚の儀が行われました。これが社会的に大きな影響があり、市民の中で神前での挙式が認識されました。神宮奉斎会、今の東京大神宮が結婚の儀を、神前式の儀式として新たに創設し、国民に定着しました。戦後、軽井沢の教会での挙式などがあって、高度経済成長期に結婚式場によるキリスト教式も流行しました。

日本の結婚式において、宗教が入ってきたのは、主として高度経済成長期以降で、1960年代に神前式が普及して、1970年代には8割が神前式となり、一番増えたのは団塊の世代が結婚する時代でした。1990年代にチャペルでするキリスト教式が増えて、海外挙式を入れると結婚式の約7割となりました。

近年の日本においては、宗教に関係なく、教会式、神前式、人前式、仏前式などの結婚式が挙げられています。儀式の後に披露宴が行なわれ、結婚式を行う場所も、出席者に便利で、広い会場が利用できるホテルの利用が多くなる、次に多いのが、専門の結婚式場です。ホテルや結婚式場では、式場で結婚式のすべての用意を行って、華やかな演出も行えるので、便利だいうことで、新郎新婦やその家族に人気となっています。式場には神社や寺院、キリスト教会の室が設けられて、両家の親族が入って式が挙げられます。その後に、同じ建物内にある宴会場で披露宴を行います。

仲人

最近では、仲人をつけない結婚式がほとんどになっています。お見合い結婚が多かった時代は、縁談の世話から結納や結婚式まで、両家の間に入って調整する人が必要とされ、それが仲人でした。その後、恋愛結婚が一般的になると、二人で結婚関係のすべてを決めて、新郎新婦中心に式の準備をするようになりました。

人前結婚式

最近、人気がある挙式のスタイルとして、人前式があります。友人、知人や親族などの参列した人に誓うスタイルの結婚式です。昔の「祝言」に由来しているとか、海外のウエディングに影響を受けたのでは、と言われています。